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英語教育大論争

本書は、昭和49年に自民党の政務調査会に参議院議員(当時)平泉渉氏により提出された「外国語教育の現状と改革の方向」を契機に、翌昭和50年に上智大学の渡部昇一教授(当時)からの反論、そして、その後の両氏の論争や対談を収録しています。

両氏の基本的な姿勢は、平泉氏が英語はコミュニケーションの道具として顕在化された知識(能力?)であるのに対して、渡部氏は読解主義から得られる内在的な知識を発達させる手段と捉えています。この両氏の違いは、30年以上たった現在でも今だに決着が付いていない問題として、私たちの前に立ちはだかっています。大学改革の真っただ中である今、特に英語教育への取り組み姿勢が重視されており、大学英語教育は、教養主義と実用主義の狭間で揺れに揺れています。両氏の姿勢は、ほぼそのまま時代を超えて平行移動してきたと考えられます。

両氏の論争に決着がつかないのは、両者とも英語教育の重要な側面を捉えつつ、有効な解決策を提示していないことに起因しています。実のところ、英語(外国語)教育はその歴史の中で2つの目標を持つようになっているからであり、その2つの目標こそ、両氏が第一と掲げるものだからです。そして、現実の英語教育では、その両者を混ぜて学習者に提供している状況であり、しかも、学習者が英語学習に費やす時間は絶望的に少ないというという状況です。それでは、まさに「二兎追う者は一兎も得ず」を地でいっているように思えます。もし一兎でも捕まえることが出来れば、二兎目は比較的簡単に捕まえられるように思いますが、それもまだ実際の研究からは分かっていない部分です。両氏が有効な解決策を提示できていないのも、2つの目標を同時に達成する有効な手段(もしあるなら)が見いだせないことが原因ではないかと思います。

それでは我々はどうしたら良いのでしょうか?開き直って、どちらかの兎を追う授業を続ければ良いのでしょうか?それとも、今まで通り、二兎を追い続ければ良いのでしょうか?この問題は、非常に大きなものであり、英語教育にだけ関わるものでもありません。本書が提示している論争は英語教育に関わる人々が真剣に考えなければなりません。いまこそ、再度読まれるべき本ではないかと思います。